人間の手を通されたようには見えない(機械によって作られたようにしか見えない、あるいはふつうに見て絵画的に対象物を描いたようには見えない)のだが、その出来上がった作品には、いいようもなく人間が感じられるような作品を目指したい。
つまり、誰にでもできる(デッサンとか絵画的な修養を積んでいない人でもできる、あるいは全く絵画に興味のない人でも機械的に手を動かすだけでできる)方法で最も人間を感じさせる作品を作りたい。
人間は無意識に手を使い、また機械的に手を動かす。実はそれが最も人間的な動作ではないか。その手の無意識的動作ということを逆に意識化して作品を作ること。機械的にしか手を使用していないように見えるが、反面その作品からはなお人間くさいものが立ち現れるということ。
描くと言う方法ではなく、手が機械的に動かされるような方法によって対象とする物を第三者に伝えることが可能な方法。相手にこれがそのものであると絵画的方法によって伝える場合、そのものを描写する力の差によって相手に理解する度合いが違うというのではなく、誰でもこうすれば同じように伝達されると言う方法をとること。あくまで自然の原理によって人間の手で直接最初から最後までたずさわるような方法でなければならない。
誰でもができるという方法。
つまりは他人とはちがった方法によって自己の見方を作品化しようというのではなく、誰にでもできる方法によって、あくまでできるものは自己の見方を通過した表現となるような方法ということ。そしてそれは技法上において他人と区別されるような技法、技術であってはならない。
1971年6月16日
(2024年1月20日追記)