Text:テーマと表現について

制作の中心テーマは、今現実に生きているこの世界から“自分という存在”がいつの日にか消滅してしまうのだ、という「自己存在の消滅」の危機感から生まれる不安な感情や感覚を表現すること。
それは「死への恐怖感」の表現とも言えますが、その感情や感覚を呼び起こす“根源イメージ”そのものにせまりたい。それを求める根底には自身の”死”へ恐れを克服しようとする心理が働いているのかもしれない。

具体的な表現としては、社会の中に記録として残された「歴史としての記憶」と身体の体験として意識の中にの残された「個人の記憶」を通し、大きな死(戦争、災害、病疫など)と小さな死(個人の死)を対比しながら、「自分も含めた人類において死の意味とは何か」を追求し続けている。

制作過程においては、自身の世界観による“物のとらえ方”から定めた「二つの定義」を自らの制作に課している。

まず一つ目の定義は、「存在の等位性」つまり“万物の存在は全て同一平面上から出発している”ということ。

それぞれの表現者の創作活動における表現の結果、それぞれの作品には何らかの相違が生じるが、その相違こそがそれぞれの作家の個性なのだと思われている。しかし、表現上の目に見える相違は、単に表面上の相違でしかなく、全ての存在は根源に遡れば等位であるため、いわゆる表層的な個性と言われる相違といったことには意味がないように思える。それら表層的なものを排除したとしても、なおそこに残るものが真のオリジナリティーなのではないかと考えるから。

この第一の定義「存在の等位性」による条件から、制作手法としては、特に個性そのものの代表である筆跡などの“手の痕跡”を極力排除(無個性化)することである。

そして二番目の定義は、「存在の偶然性」、つまり“全ての存在は偶然により表れ消滅する”ということ。

具体的な制作手法としては、制作プロセスで生じる素材の状態を残すことによって作品上にその出来事を現実として残すこと。つまり、制作プロセス 上で生じた偶然の結果を排除せずそれを活かすこと。それが第二の定義「存在の偶然性」を前提とする制作上の条件となる。

 この“二つの定義”を制作の基本条件とするため、その条件を満たすよう機械的なプロセスを主な制作手段や技法として制作している。

2004年6月10日
(2024年1月16日追記)